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観光

ハンガリー観光

ヨーロッパ諸国で唯一アジア系民族の国である。ヨーロッパ大陸のほぼ中央にあるカルパチア盆地に位置し大部分が丘陵地帯と大平原であり、ドナウ川、ティサ川、バラトン湖によって潤おされた肥沃な農地が広がっている。首都のブタペストは「ドナウの真珠」と呼ばれ、美しい中世の街並みを残し芸術の中心。リスト、バルトーク、コダーイなど音楽家を生み出している。

くさり橋 Chain Bridge

( ウィキペディアより引用 )
セーチェーニ鎖橋(セーチェーニくさりばし、セーチェーニ・ラーンツヒード、Széchenyi Lánchíd [ˈse̝ːt͡ʃe̝ːɲiˌlɑ̈ːnt͡s(h)iːd])は、ハンガリーの首都ブダペストに架かる吊り橋である。全長380メートル。ブダペスト市内のドナウ川沿岸で最初に架かった恒常的な橋であり、西岸のブダ地区と東岸のペシュト地区(ペスト地区)を結んでいる。単に鎖橋とも呼ばれる。イングランドの技師ウィリアム・ティアニー・クラークWilliam Tierney Clark)が設計し、建設はスコットランドのアダム・クラーク(のちハンガリーに帰化してクラーク・アーダームClark Ádám)の監督とハンガリー人セーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵の支援のもとでなされた。橋の両側は彼らの名前を冠したセーチェーニ・イシュトヴァーン広場(Széchenyi István tér, 旧ルーズヴェルト広場 Roosevelt tér)とクラーク・アーダーム広場 (Clark Ádám tér)になっている。クラーク・アーダーム広場はハンガリー国内の道路の0キロメートル点となっており、原標 (Zero Kilometer Stone) が設置されている

 

国会議事堂

( ウィキペディアより引用 )
1867年ハプスブルク帝国の支配下にあったハンガリー王国は、アウスグライヒによりオーストリア・ハンガリー帝国となり、オーストリアから自治を獲得した。ハンガリー王国政府は、1873年ブダオーブダペシュトの3地区を合併してブダペスト市を作り、ここを首都と定める。7年後の1880年に国民議会は、国の独立を示す、新しくて国を代表するような国会議事堂の建設を決議。コンペティションが公布され、シュタインドル・イムレ(en)に任されることとなった。ほか2人の案も採用され、それぞれ民族博物館と農業博物館の建設を任された。1885年に建設が始まり、1896年には建国1000年祭が開始され、1904年に完成。シュタインドルは完成を見ることなく、1902年に亡くなっている。国会議事堂の建設にはおよそ1000人が従事し、4000万個のレンガ、50万の宝石と40kgの金が使われた。第二次世界大戦後の共産主義体制から民主化した1989年10月23日、この国会議事堂で国号を「ハンガリー人民共和国」から「ハンガリー共和国」へ改称することが宣言された。

聖イシュトヴァーン大聖堂

( ウィキペディアより引用 )
ハンガリー国会議事堂と並んで、ブダペストで最も高い建造物である。建物高96m、幅55m、奥行87.4m。 1851年に着工し、54年後の1905年に完成した。この遅滞の大半は、完成したにもかかわらず手がつけられないほど崩壊し、一から作り直すことになった1868年のドーム倒壊が起因している。建築様式は新古典主義様式であり、平面図はギリシャ十字を模している。正面には2つの大きな鐘楼がある。南の鐘楼にある鐘は重量9トン以上あり、ハンガリーで最も大きな鐘である。現在の物は2代目であり、初代の物はほぼ8トン近くあったが、第二次世界大戦の際鋳潰されて軍用に使われた。観光客は、エレベーターまたは364段ある階段でドームに昇ることができ、ブダペスト街を360度見渡すことができる。

王宮(ブダ城)

( ウィキペディアより引用 )
1241年モンゴル軍の攻撃で木造城壁だったブダ城が破壊されるとベーラ4世が石造で再建した。14世紀ラヨシュ1世によってゴシック様式の王宮に改造されたが、17世紀オスマン帝国軍の攻撃で破壊された。18世紀にかけてハプスブルク家の支配下で再建され、バロック様式への改造が行われた。19世紀半ばに発生した火災とその後の第一次世界大戦第二次世界大戦で大規模な被害を受けたが、20世紀半ばに再び修復された。1987年、「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城」として世界遺産に登録。2002年には「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」として拡大されている。

英雄広場

( ウィキペディアより引用 )
アンドラーシ通りの突き当たりに位置しており、通りを臨むとセルビア大使館が見える。また、ヴァーロシュリゲットの中にあり、広場の左側にはブダペスト西洋美術館が、右側にはブダペスト現代美術館が位置している。また、ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通りの一部として世界遺産に登録されている。地下にはブダペスト地下鉄1号線英雄広場駅がある。

温泉文化

( ウィキペディアより引用 )
ハンガリーでは温泉が湧き出し、温泉文化が古くから伝わっている。ブダペストにおける温泉文化は2000年近くある。ブダペストのオーブダ地区にある古代ローマ時代のアクインクム遺跡に、ハンガリー最初の温泉浴場が建設された。当時の浴場跡を今日でも見ることができる。オスマン帝国に支配されていたときに、ドナウ川河畔に発達した。1937年国際沿療学会議ブダペスト大会でブダペストは国際治療温泉地に認定され、世界的に温泉に恵まれた首都と呼ばれるに至った。オスマン帝国時代の建物をそのまま残すルダシュやキラーイなどの浴場は、今日でも親しまれている。1913年に作られたセーチェーニ温泉は湯量毎分3,700リットルという豊かな湯量と豪奢な建物で知られている。温水湖であるヘーヴィーズ湖は、自然温水湖である。ハンガリーにおいてもっとも古くから知られており、古代ローマ時代の記録にさかのぼり、2000年の歴史がある。4.4ヘクタール、水深38メートル、泉質は硫黄、ラジウム、カルシウム、マグネシウムなどのミネラルを含む。泉からは大量に湧き出し、48時間で水が入れ替わる。水温は冬は23 – 25°C、夏は33 – 36°Cである。